Wien Interiorパルナスウィーンインテリア
19世紀末ウィーンで開花したデザイン革命「分離派様式」。
その装飾には、過去の伝統から分離して新しい芸術を創ろうとする
芸術家たちの革新的な想いが刻み込まれています。
パルナスウィーンインテリアでは、
19世紀末ウィーンに焦点をあて、質の高いインテリアをご紹介しています。
1900年前後のウィーンは、あらゆる分野の芸術が一斉に開花した華麗な時期でした。
家具、工芸などの応用美術が、純粋芸術といわれる建築、彫刻、絵画と同格に認められ、
インテリアを含めた空間デザインの系譜において、重要なターニングポイントとされています。
旧体制の芸術団体キュンストラー・ハウスに反旗を翻し、過去の伝統から“分離”して
新しい芸術を創ろうとしたウィーン分離派の芸術家たち。
その強い想いが、簡潔な造形美に刻み込まれています。
PARNAS Wien Interior is linked to the MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesign, and it features Vienna’s high quality interiors. The end of the 19th century was a magnificent period for Vienna, when the city witnessed the simultaneous flourishing of art in a variety of fields. Furniture and industrial arts were considered to be on a par as pure works of art such as architecture, sculptures, and paintings; thus creating a major turning point in the field of spatial design. The Wiener Secession was a group of artists that rebelled against the old Kunstlerhaus philosophy, formed with the aim to create new forms of art that are detached from past traditions and conventions. Their strong desires and emotions are carved in their formative art. I would like their innovative spirit to live and coexist within the work of our gallery.
はじめに 19世紀末ウィーンへの誘い
オーストリアは、ヨーロッパの中央に位置する小国です。650年もの永きにわたり、ハプスブルク家の帝国、オーストリア=ハンガリー帝国として中欧に君臨し栄華を誇りました。第一次世界大戦が終結する1918年まで、ヨーロッパの秩序を形成していたといっても過言ではなく、現在でも、その歴史と伝統が感じられる美しい国です。特に首都ウィーンは、あらゆる芸術が栄える都市であり、パリと並んで日本で好まれています。
ウィーンと言えば「音楽の都」として、ヨハン・シュトラウス父子や、フランツ・シューベルト、ヴォルガング・アマデウス・モーツァルト、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが活躍し、音楽家の憧れの都市としても有名です。クリムトやシーレなどの個性的な絵画などが思い浮かぶ方も多いことでしょう。国立オペラ劇場、フォルクス・オーパー劇場のオペラ、ブルグ劇場での演劇、日本でも人気を博すエリザベートのミュージカルなど、舞台芸術も外せません。
ウィーン市街を歩けば、王宮、美術史美術館、カール教会、シンボル的存在であるシュテファン寺院などの伝統的な建築が連なり、ホテル・ザッハーやデメルの「ザッハー・トルテ」に代表されるカフェ文化を観光客を含む多くの人々が楽しんでいます。
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そのようなウィーンの華麗な文化と相対する芸術運動が19世紀末に起こり、現代のウィーンにおいても、美意識の観点で多くの影響を与え続けているものがあります。それが、ウィーン分離派(セセッション)です。美術史の流れの中で、19世紀末、欧州各国で曲線的なアール・ヌーヴォー様式が流行した際に、当時のウィーンの様式は、その終盤にあたりました。過去の伝統を重んじる伝統様式から「分離」して新しい芸術を創ろうとしたことを意味して、ウィーン分離派(セセッション)が誕生したのです。
19世紀末以前のウィーンでは、フランスのサロンや英国のロイヤル・アカデミーにあたる、「キュンストラーハウス」という旧体制の芸術団体が存在していました。この格式ある芸術団体には、展覧会の開催を目的とし、多くの芸術家が在籍しており、展示作品の選定は情実にとらわれた方法であり、芸術の正当な評価ではありませんでした。その展覧会場は伝統的な建築様式で、展示室はすべて固定されそのままの状態で使用し、床には植栽で囲まれた彫刻が置かれ、天蓋を設けるなど華美な装飾が施された中、絵画作品は隙間なく展示されていました。当時の批評家へルマン・バールは、「キュンストラーハウスはまるでバザールである。オーストリアでは新しい方法を考えなければならない」と批判しています。その後、やや簡素な展示方法に変化したものの、展示自体がデザインされたものではありませんでした。
一方、旧体制に反旗を翻して1897年に設立されたウィーン分離派は、「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」という標語を掲げ、新しい芸術の表現方法をとりました。従来の伝統様式とは異なる、独特の外観が特徴の展覧会場を舞台に、革新的な展示が展開され、純粋に作品の芸術的価値を基準にして選ばれた展示作品に合わせ、展示デザイナーによって展示空間がデザインされるものでした。現代の美術館の展示手法の源流がここにあるといっても過言ではないのです。
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ウィーン分離派(セセッション)は、モダンデザインの原点であり、様々なインテリア様式が溢れている現代においても注目に値すると考えられており、近年再評価されつつあります。MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesignを開廊するあたり、この革新的な精神から学び、運営に活かして行きたい、日本では知名度の低い、19世紀末ウィーン分離派によるデザインの数々を広く紹介していきたい、そのような想いで、パルナスウィーンインテリアを併設する運びとなりました。
- ウィーンのシンボル、シュテファン寺院。14-16世紀に後期ゴシック様式に改築されました。屋根瓦はモザイク模様で紋章が描かれています。
- 音楽の都ウィーンを象徴する国立歌劇場(オペラ座)。
小澤征爾氏が音楽監督をつとめたことでも有名です。 - キュンストラーハウスの展示では、彫刻を植栽で囲んだ華美に装飾が施されました。
- 第19回分離派展の展示風景。目線の高さの壁に絵画と植栽をはめ込み、簡素化された展示方法でした。
ウィーンインテリアを知るための2つのキーワード
- 1902年、ウィーン分離派のメンバー達。
展覧会を成功させ、その親しい雰囲気が伝わって来ます。 - ウィーン分離派の拠点、分離派館。完成した当初は、その奇抜な外観がウィーン市民の間で物議を醸しました。
- クリムト作のベートーヴェンフリーズ(1902年の展覧会の様子)は、分離派館の地下で今も恒久展示されています。
- 当時のウィーン工房での制作の様子。画期的なデザインの製品が数多く制作されました。
- ウィーン工房のショールームでは、工房で制作された商品、作品が利用シーンを喚起させるように美しく配置されました。
新しい芸術は、「ウィーン分離派」を母体として、その後、建築、インテリアデザインを手がけた「ウィーン工房」にも派生していきました。19世紀末ウィーンの芸術を語るためには、2つのキーワードから紐解くことができます。
ウィーン分離派(セセッション)―Wiener Secession
1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新しい造形表現を主張する芸術家のグループ。ウィーン分離派(セセッション)の活動はアーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォーなどに影響を受け、モダンデザインへの道を切り拓きました。クリムトに見られるように世紀末の官能的、退廃的な雰囲気も感じられます。1880年創業のカフェ・シュペルルにおける「七人クラブ」と呼ばれた建築家、芸術家の集まりからスタートしました。(このカフェは、現在でも、当時の雰囲気をそのままに営業しています。)
キュンストラーハウスという旧体制の団体に対し、若い芸術家達はその保守性に不満を抱き、1897年にクリムトを中心に造形美術協会を結成されましたが、認められませんでした。そのため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退して、ウィーン分離派を結成。絵画、彫刻、工芸、建築などのジャンルから一流の人材が集まり、過去の様式に捉われない、総合的な芸術運動を目指しました。主な活動は、機関誌の発行と、展覧会の開催であり、他国との芸術家との交流にも尽力しました。
展覧会は、ウィーン分離派展と呼ばれ、毎回テーマが決められた企画展で、1898年3月の第1回展は、オーストリア・ハンガリー帝国造園協会の建物で開催され、時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の来場を賜わるという栄誉に浴し、ヨーロッパ全土から6万人近い来場者が詰めかけ大成功を収めました。
第2回展からは、建築家オルブリヒの設計による新しく完成した専用の展覧会場であるウィーン分離派館で開催されました。伝統的な街並みが残るウィーンの中で、白い壁面、黄金のキャベツと評されたクーポラ、月桂樹、メデューサなどの壁面装飾が個性を放ち、当時、市民の間で物議を醸すこととなりました。
このウィーン分離派館は、展覧会に応じて可動壁などで空間を分割することが可能であり、自由な空間構成を取っており、展覧会ごとに展示デザイナーが決められ、展示デザインと展示作品が同格に扱われた点が当時としては画期的でした。長さ34mの「ベートーヴェン・フリーズ」は、1902年のベートーヴェン展のためにクリムトが、第9交響曲を聞いてそれを絵画的に解釈した作品で、現在も地階で恒久展示されています。
1985年に大規模な改修が行われ、鮮やかに蘇り、内部も機能的になり、19世紀末に新しいアートの潮流を発信したのと同様に、100年経った現代においてもコンテンポラリー・アートの美術館として活用されています。
ウィーン工房―Wiener Werkstätte
ウィーン分離派の活動と並行して、1903年、実業家フリッツ・ヴェルンドルファーとウィーン分離派の中心的メンバーである建築家ヨーゼフ・ホフマン、画家コロマン・モーザーは、建築デザイン、室内デザインを手掛ける会社として「ウィーン工房」が設立されました。デザイナーと職人との緊密な共同作業により、高い水準、かつ、それまでにない独自のインテリアエレメントが制作され、歴史にその名を刻んでいます。
ウィーン工房には、家具、金属、陶芸、ガラス、テキスタイル、製本、服飾、絵葉書など、多部門に及ぶ工房があり、各工房の室内は機能的に色分けされ、連携して恊働され、当時としては画期的な工房としてヨーロッパで注目されました。初期のあたる設立期には、ホフマンとモーザーが中心的なデザイナーとして活躍し、《プルカースドルフ・サナトリウム》
《ギャラリー・ミートケ》《モード・サロン・フレーゲ》《テラマーレ邸》《ヘルマン邸》など、斬新な室内空間、インテリアをデザインし、その中から、19世紀末ウィーンを象徴するような家具や工芸作品がウィーン工房にて、一般向けに生産されるようになりました。
家具、照明は、それまでになかった幾何学的な形状でデザインされ、床、壁、家具の張り地には、世紀末ならではの退廃的な雰囲気をも持つ有機的文様や幾何学文様を施されました。そのテキスタイルは、1894年創業のバックハウゼン社によって製作され、100年経った現在でも、驚くべきことに当時のデザインそのままで復刻生産されています。
ウィーン工房で生産され、流通した工芸品(特にガラス器や銀器)は、ウィーン市内のオーストリア応用美術博物館(通称MAK)に収蔵され、当時を伝える貴重な作品として公開されるほど価値のあるものである一方、アンティークとして人気を誇るため、一部は市場に流通しています。しかし、プロダクトとしての希少性が高く良い品質の工芸品の入手は難しくなってきています。
パルナスウィーンインテリアとは
東京銀座、昭和通りに面して、昭和7年(1932年)に建築されたKawasakiBrandDesignBldg.。2013年より、パルナスウィーンインテリアを開業しております。
19世紀末のウィーン分離派様式に焦点をあてて、ウィーンのインテリアの魅力をお伝えしています。主宰するのは、川崎弘美(学術博士 建築史)。1978年より、銀座和光 勤務を経て、さまざまな建築・室内装飾デザインに従事。プロデュースするパルナスウィーンインテリアは、ウィーンのインテリアを紹介する日本で数少ない路面店です。
家具、ファブリック、工芸品を柱に、NET SHOPにて販売中の商品も直接お手に取り、ご覧戴けます。
*事前アポイント優先 事前のメール予約により、主宰者が対応致します。
E-mail: parnas@kawasaki-brand-design.com
*アクセスは、MAPを参照