【13】バラック装飾から始まった復興建築。関東大震災からの復興建築 。焼け野原に出現したのは、仮設のバラックであった。仮店舗には「バラック装飾」と呼ばれる若い建築家達のアート運動が見られた。今和次郎が結成した「バラック装飾社」が有名で、住宅や商店などのバラックのファサードにペンキで絵を描くなどの活動を展開した。代表作である銀座のカフェ・キリンでは、怪獣のように口を開けたキリンを激しいタッチで描き、神田の東条書店には「野蛮人の装飾をダダイズムで」として、動物と渦巻き紋様を描いた。その後、復興が進みバラックの建設が減り活動も自然消滅した。彼らに対して、分離派建築会、芸術至上主義的な立場から厳しい批判に対し、今和次郎は世相風俗の表層的な部分にこそ宿る美の存在を主張した。現在『日本の近代建築(下)』岩波新書(1993)の中で、建築家 藤森照信氏は「モダンデザイン終了後のポストモダンの傾向の一つにほかならない」とその先進性を評価している。1930年(昭和5年)【13】(昭和五年三月 帝都復興式典祭記念)銀座通り櫻花の奉祝光景

【13】バラック装飾から始まった復興建築。関東大震災からの復興建築 。焼け野原に出現したのは、仮設のバラックであった。仮店舗には「バラック装飾」と呼ばれる若い建築家達のアート運動が見られた。今和次郎が結成した「バラック装飾社」が有名で、住宅や商店などのバラックのファサードにペンキで絵を描くなどの活動を展開した。代表作である銀座のカフェ・キリンでは、怪獣のように口を開けたキリンを激しいタッチで描き、神田の東条書店には「野蛮人の装飾をダダイズムで」として、動物と渦巻き紋様を描いた。その後、復興が進みバラックの建設が減り活動も自然消滅した。彼らに対して、分離派建築会、芸術至上主義的な立場から厳しい批判に対し、今和次郎は世相風俗の表層的な部分にこそ宿る美の存在を主張した。現在『日本の近代建築(下)』岩波新書(1993)の中で、建築家 藤森照信氏は「モダンデザイン終了後のポストモダンの傾向の一つにほかならない」とその先進性を評価している。1930年(昭和5年)【13】(昭和五年三月 帝都復興式典祭記念)銀座通り櫻花の奉祝光景