MUSEE exhibitions 007
Katsuhiro Saiki 2018 齋木 克裕 展  Non-Architectural Photographs

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美麗なるプラナカンビーズ刺繍の世界
〜世界最小ビーズで紡ぐ、プラナカン伝統文化〜

 

開催趣旨

 

プラナカンビーズ刺繍の素晴らしさをお伝えする展覧会を東京・銀座で開催します。

プラナカン文化は、16世紀頃、欧米列強の統治下にあったマレー半島に渡った中華系子孫たちが 貿易等で成功を収め、西洋と中国、東南アジアの文化風習が交ざり合い誕生した独特な文化です。 近年のシンガポール観光ブームで、現地プラナカン博物館には 多くの日本人が入場し、 その東西が融合した独特な文化の中で生まれた展示品や歴史は高く注目されています。

その豊潤で華やかなプラナカンの世界観が凝縮されたものの一つに、 世界最小のグラスビーズで精緻に刺繍されたプラナカンビーズシューズが挙げられます。 嫁入りを迎えたプラナカンの子女たちが、手刺繍を覚え、婚礼等の慶事で重用されました。 戦後、生活様式が変化し花嫁修業の意義が薄まり、担い手が減少。それでも、生活の楽しみとしてプラナカンビーズ刺繍をし、パーティーなどの 晴れの日に履く靴として、シンガポール、マレーシアでも今もなお愛され続けています。

生産が永年停止し、市場で見かけなくなった希少なビーズを収集、再生産をし、 プラナカンビーズ刺繍の伝統手法、モチーフを生かした作品づくりをし、 シンガポールを拠点に活動されている日本人女性・田中寛子さんと共催で、本展を開催します。 約30足を展示公開し、さらに1890年代に製作された、希少なアンティークコレクションなども特別展示します。

プラナカンビーズ刺繍に特化した展覧会としては、日本では初開催となります。 永い歴史、文化背景から生み出された、精緻で鮮やかなプラナカンビーズ刺繍の美しさ。 美麗なるプラナカンの世界に、皆さまを誘うことができましたら幸甚です。

 

主宰者紹介

 

田中 寛子 / PBS ATELIER 代表

2002年より、シンガポール在住。プラナカンビーズシューズの精緻さに感銘を受け、シンガポール、マレーシア、インドネシアの各地で本格的にプラナカンビーズ刺繍の伝統技法を学ぶ。シンガポール、東京で刺繍教室を展開するほか、シンガポール政府教育省の伝統工芸プログラム外部 講師として、現地高校生や台湾留学生に教えている。シンガポールプラナカン協会会員。

関連イベント

 

2018年4月25日(水)18時〜19時
ギャラリートーク「プラナカンビーズシューズの過去〜現在」
定員20名 

 

たかはしなつき展 Natsuki Takahashi exhibition 2018
はじまりの森 Harmonize with Heart of the Forest

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倉品 雅一郎 展 MASAICHIROU KURASHINA The 3rd Personal Exhibition
hitokariudo 人狩人 human hanter
増殖するアセンブリッジ・アート 金属オブジェ「異世界」+「時刻機」

 

ステートメント

 

世に作り出されたものは必ず古びゆく。汚れ摩耗し錆び、本来の機能を失い無価値な物体になる。工業製品のスクラップ、一般の家庭から出される不用品、時代遅れの息絶えたゼンマイ時計…だが、消滅する運命の素材が偶然に出会い組み合わされた時、予期せぬ姿のオブジェが生まれる。

アセンブリッジアート」は、絵具材での創作ではなく、紙や木片、金属板などの素材・廃材を寄せ集めて作品にする芸術。1900年代、エルンストやピカソが始めたとされ、 「コラージュ」とも呼ばれるその技法は以後、世界中の現代作家が試み、独自の解釈で作品を制作してきた。

多くは「ジャンクアート」として、破壊、滅亡などのイメージと結び付けられ風刺的 あるいは抗議的メッセージに使われるが、私の作品群はデジタルによって視覚的な輝きを放ち、心地よいリズムを刻む、世界観を形成し、その調和を志したものだ。

本展では、“人狩人” の住む「異世界」と、切迫した時刻を表現する「時刻機」の新作を中心に展開する。モノや情報で溢れ、充足したかのように見える現代に警鐘を鳴らす。

                                       倉品 雅一郎

 

作家紹介

 

倉品 雅一郎

1954年、東京生まれ。早大卒後、小学館勤務。35年間漫画誌編集者として、作家・ 石ノ森章太郎、あだち充、さいとう・たかを、藤子不二雄Ⓐ 氏 他多数担当。「ビッグコミック」編集長などを歴任後、現在 藤子スタジオ顧問として2017年「笑ゥせぇるすまんNEW」企画協力に携わるなどクリエーションの一線で活動している。

そうした異色の経歴と並行しながら、1980年頃より美術作家として制作を開始。都美術館公募展(モダンアート協会・主体美術協会・亜細亜現代美術など)を中心に発表。近年は絵画のほか、電子機器と金属素材によるオブジェや彫刻=「アセンブリッジ・ アート」で自身の世界観を追求している。

 

関連イベント

2018/2/21(水) 18時〜19時
ギャラリートーク「漫画編集者と美術作家」開催
定員15名・ 当日参加可

 

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企画展 コロマン・モーザー没後100年
「世紀末の異才 コロマン・モーザー ―平面から空間へー」

開催趣旨

 

MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesign では、19世紀末ウィーンで活躍した芸術家コロマン・モーザーの没後100年を記念し、企画展「世紀末の異才 コロマン・モーザー −平面から空間へ−」を開催します。                

19世紀-20世紀転換期(一般に世紀末といわれる)におけるウィーンの芸術はアール・ヌーヴォーの最終期にあたり、曲線から逸脱し、斬新な直線的、幾何学的、抽象的なデザインが創出されました。分離派様式と呼ばれるこのウィーンの芸術を、美術史家S.T.マドセンは「反動」と、建築史家G.ギーディオンは「19世紀と20世紀のあいだの興味深い間奏曲」と表現しています。

ウィーン世紀末に活躍した芸術家コロマン・モーザー(Koloman Moser/1868-1918)は、早くから絵画、挿画で評価を得ていました。その後、抽象的、幾何学的デザインへと移行し、1897年に画家グスタフ・クリムト(1862-1918)らとウィーン分離派(Wiener Secession)を設立。1900年、ウィーン工芸美術学校の教授に就任。1903年、企業家フリッツ・ヴェルンドルファーと建築家ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)と共に、ウィーン工房(Wiener Werkstätte)を立ち上げます。モーザーは、優れた平面芸術の才能を三次元に展開し、家具、照明具、工芸品、テキスタイルを含めた空間デザインにおいて成果を残しました。建築家オットー・ヴァグナー(1841-1918)設計のアム・シュタインホーフ教会のステンドグラスや祭壇画のデザイン、舞台装飾も手がけた多才な芸術家でした。

晩年は、スイスの画家フェルディナント・ホドラー(1853-1918)の影響を受け再び絵画に戻り、静謐な作品を残します。1918年、ハプスブルグ帝国が解体した激動の年。クリムト、シーレ、ヴァグナーが相次いで没し、モーザーも10月に50才で生涯を閉じます。独創的で洗練された造形美を持つモーザーの残したデザインは、100年が経過した現代においても新鮮さを感じさせます。                

本展では、モーザーによる空間デザインに主軸を定め、その土台となった平面作品も多数展示することで、その多才な功績を紹介します。

空間デザインでは、展示デザインの原点ともされるモーザーが担当したウィーン分離派展、クンストシャウ展の展示風景、住宅では《テラマーレ邸》、《ヘンネベルク邸》の内部空間などを紹介します。

平面作品は、舞台デザインのスケッチ《Bergsee》や日本初公開となるスケッチ《Semmering》などモーザー直筆の作品やポスター、そして、現代復刻されモーザーのテキスタイル《神託の花》を使用したオリジナル壁面作品《WWK》を展示します。

ウィーン世紀末に個性を放った異才コロマン・モーザー。優れた平面芸術の才能を、総合的な空間デザインや立体へ展開した軌跡を皆さまと辿ることができれば幸いです。

 

展示構成

 

第1部 空間デザイナーとしてのモーザー
第2部 モーザーの生涯・平面作品
第3部 現代へのメッセージー《WWK》

 

コロマン・モーザー(Koloman Moser/1868-1918)

 

1868年3月30日、父ヨーゼフ・モーザーとハンガリー系の母テレジアの間にウィーンで誕生した。父の仕事が良家の子弟のための寄宿学校テレジアヌムの管理人であった関係で、校内の広大な敷地の中で育ち、そこにあった様々な工房に出入りすることで美術工芸の技術を自然に身につけたという。ウィーン美術アカデミーを中退後、ウィーン工芸美術学校に移り、画家としてスタートを切った。その後、グラフィック、工芸、家具、テキスタイルを手がけ、晩年は舞台デザインと絵画制作で才能を発揮した。

 

監修者紹介

 

川崎 弘美

MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesign 共同代表。MUSEE GINZAに併設するウィーン世紀末に特化した「パルナスウィーンインテリア」を主宰する。長年、ウィーン室内装飾の研究に従事。総合芸術家コロマン・モーザーにフォーカスし、その業績を体系化。その魅力を現代に伝えるべく活動している。学習院大学卒後、銀座和光(室内用品部)に勤務。1989年、インテリアコーディネーターとして独立。2016年より、お茶の水女子大学 生活工学 共同専攻 博士後期課程 在籍。日本建築学会、日本インテリア学会で発表するなど研究を続けている。学芸員として作品の選定、展示構成など、本展を監修する。

 

関連イベント

2018年9月8日(土)17時〜18時
ギャラリートーク「コロマン・モーザーの功績とウィーン世紀末」 講演・川崎弘美
定員15名 

MUSEE GINZA 企画展
英国劇場建築の世界 The world of British Theater Architecture

 

開催趣旨

 

2019年2月〜3月、MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesign では、企画展「英国劇場建築の世界 The world of British Theater Architecture」を開催します。

ロンドンの劇場地区(London Theatreland)ウエストエンドは、ニューヨークのブロードウェイと並ぶ商業演劇街として有名です。

劇場文化が花開いたのは、1576年、シアター座と呼ばれるシェイクスピア劇で興行的に成功をおさめた初の常設劇場が誕生したことに遡ります。劇作家で俳優、劇場経営者として名を馳せるジェームズ・バーベッジによって建設されました。1599年解体され、そこから得られた建材を使用して、シティの権限が及ばないサザークにグローブ座が建設されます。

1642年、ピューリタンにより閉鎖、王位空位期間を経て、1660年の王政復古により、勅許劇場であるデュークス、キングスの2つのカンパニーが生まれます。初のウエストエンドの劇場は、トマス・キリグルー設計によるシアターロイヤルが開場。火災で焼失し、クリストファー・レン設計により新たに建築され、ドルリーレーン王立劇場と改称されます。

2つのカンパニーは、正統とされた科白劇の上演を独占的に行う権限を19世紀まで保持。1737年の演劇検閲法により、戯曲は検閲され、その他の非勅許劇場は、音楽のショー以外は上演が許されませんでした。規制の抜け道として、音楽を伴うドラマ仕立てのショーやパントマイムが誕生、次第に人気を獲るようになり、パブ併設のホールから、ショーディッチ、イーストエンド、ホワイトチャペルに専用劇場が建設され始めます。

多くの劇場が開館するにつれ、ウエストエンドという名が有名になっていきます。1806年アデルフィ・シアター、オールド・ヴィック・シアターが開館。1843年劇場法で、上演条件の緩和をきっかけに急拡大し、1870年ヴォードヴィル・シアター、1874年ピカデリーサーカスのクライテリオン・シアター、1881年電気ライトが初採用された劇場サヴォイ・シアター、レスタースクウェアのロイヤルコメディシアターなどが誕生し、劇場建設ブームが到来、第一次世界大戦まで続きます。

第二次世界大戦以降、脚本の検閲を回避するため、演劇クラブを通じた画一的な演目が多く制作され、劇場から客足が遠退く時期もありましたが、1968年劇場法改正でようやく検閲が廃止されます。80年代に入るとロンドン発のミュージカルが席巻。ブームを支え、史上最長の記録を持つ「レ・ミゼラブル」、アンドリュー・ロイド・ウェバー「オペラ座の怪人」や、ウィリー・ラッセル「ブラッド・ブラザーズ」などの人気ロングラン作品が継続上演されています。現在も40を越える大小さまざまな劇場がひしめきあい、英国の文化として根付いています。

本展では、ウエストエンドで花開いた英国劇場建築の美しさ・歴史軸に焦点を当て、その歴史を伝える18世紀、19世紀初頭に出版された古書文献から抜粋し、そのビジュアル16点を展示します。

特に、ウエストエンド初の劇場であるシアターロイヤル(Theatre Royal)と、その火災の様子を伝える資料、クリストファー・レン設計により新たに建築されたドルリー・レーン王立劇場(Drury Lane)について一連のビジュアルが見ものです。現在「オペラ座の怪人」が上演されている壮麗なハー・マジェスティーズ劇場(Her Majesty’s Theatre)。その前身の建物であるキングスシアター(Kings theatre)と、その斜め向かいに1821年から現存するヘイマーケット王立劇場(Theatre Royal Haymarket)などもご紹介します。

現存する劇場建築は、19世紀の後期ヴィクトリア様式、エドワーディアン様式のものが多く、ギリシャのクラシック・リバイバルからの新古典主義様式がファサードに取り込まれているもの、大空間を生み出すため、教会建築で見られる半円アーチ、トンネル・ヴォールトが美しいロマネスク様式などを組み入れたものなど、演目に勝るとも劣らない華やかさ、細部まで趣向を凝らした意匠デザインと装飾が展開されています。

MUSEE GINZA_KawasakiBrandDesignBldg.は、英国劇場建築に比べるとまだまだ新しい1931年竣工。銀座に残る小さな近代建築にて、壮大なパースペクティブが描かれた劇場空間をご覧いただきます。英国の伝統、気品とエンターテイメントの原点である、古き良き劇場建築をお楽しみください。

 

各メディアでの紹介

朝日新聞夕刊 2019.2.5

 

 

銀座経済新聞・yahoo!ニュース 2019.2.5配信 銀座で「英国劇場建築の世界」展 「建築オタク」のオーナーが集めた図版16点

美術手帖 Web版 2019.2.5配信
デザイン情報サイト[JDN]2019.1.28配信
TokyoArtBeat 2019.1.30配信

 

展示風景

 

展示作品(詳細)

地図制作を手がけたRobert Wilkinson (1768-1825)の出版会社WILKINSON PUBLISHINGによる 1834年出版の古書文献より
Drury Lane劇場 大火での焼失、1791年解体前の姿を描く
・Wise William (彫刻家 1823-1876) ※ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ所蔵作家  
・William Capon (アーティスト 1757-1827)

MUSEEexhibitions006
星野 陽子 展 Yoko Hoshino “TRANSMIGRATION”


 

開催趣旨

 

星野 陽子 (1991-)は、東京藝術大学院に在籍し、現代人が感じる高揚感や空気感を、色鮮やかな空間表現(インスタレーション)を駆使し、精力的に取り組む気鋭の美術作家です。抽象の可能性を探究し既成概念を覆した三次元的な空間表現で著名な米国人美術家、フランク・ステラ(Frank Stella 1936-)に憧れを抱き、国内を中心に制作活動を展開しています。

現代社会の「受け身で、護(まも)られている」状態に嫌悪感を感じ、刺激のある切迫した状態を探求し、自らをそうした環境に置くことで、ドキドキし、鼓動を感じ取り「生きていること」を再確認する生活プロセスが、表現のベースとなっています。2017年、アメリカ国立公園の断崖、南の島でのダイブなど、高揚感を得る場所に赴き、新しい表現、テンポ感、色彩を見つけ、空間構築するスタイルを追求してきました。

本展は、昭和7年竣工、築85年の歴史を刻む近代建築「MUSEE」を舞台に、作家初の東京・銀座でのインスタレーション展となります。「守られた」新しい商業施設が増える銀座に於いて、戦前から同じ様相で佇む、ある種の危ない要素を併せ持つ「既存不適格」建築であるMUSEE。「“TRANSMIGRATION”」と題し、鑑賞者の五感を撹乱(トランス)すべく、眩いパワースポットとしての空間表現に挑みます。ベルリン郊外にある古ビルを鮮やかな色彩で蘇られたクラブ「ベルクハイン」に触発され、「夜」の銀座の持つまばゆい印象、ダイナミックなスケールを展開します。ストロボ、蛍光色で溢れる光の表現、鏡、フィルムなどをミックス。錯覚を意図的に作り出し、存在意義も含めて、重力・身体感覚を打ち消し、撹乱させます。

3階建てのMUSEEを登り、辿り着き、高揚感に似た身体感覚を、ご提供する体験型の美術展となります。2018年第一弾となる企画展、どうぞご注目ください。

 

星野陽子展「TRANSMIGRATION」で蛍光ピンク・ブルーでライトアップされた近代建築MUSEE。銀座昭和通り沿い、2018年1月13日撮影。

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柴原 薫 展
見えぬ存在、受け継がれる記憶 Unseen Existence, Inherited Memories

 

見えぬ存在、受け継がれる記憶

 

幼い頃の夢に現れた想像上の生き物たちは、様々な自然現象に対する
本能的な畏敬の念によるものではないだろうか。
その気持ちは、今でも私たちの心のどこかに刻み込まれ、
何かの きっかけで思い起こされることを望み、その時を待っている。

古代から日本人の心に脈々と受け継がれる、自然に対する敬意の感覚を
見つめ直し、表現することを目指した。
それは、目に見えるものを単に写し取るのではなく、
まず真っ暗なスタジオの闇の中から、光(太陽)をつくり、
そして事物を作りこんでいく。
まるで神の如くゼロから世界を創造していく作業である。

今回は主に日本の古典文学、浮世絵等の怪異談・奇談をモチーフに、
内なる記憶を辿りながら世界観を展開した。

      柴原 薫

 

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相宮 慧子 展 keiko aimiya exhibition2017「鯉龍」

 

開催趣旨

 

相宮 慧子 は、日本画の伝統美を、単色の墨絵にも通じる白糸刺繍での表現に取り組む作家です。1970年代、日本南画院の飯田満佐子(東籬)氏に墨絵を師事し、13世紀頃ヨーロッパで発祥した白糸刺繍を故誉田文子氏に学びました。

日本画を描いていた亡父の影響で、幼少期から優れた大家の作品に直に親しみ、墨絵の表現に憧れを抱くようになりました。とりわけ日本画特有の美しい「線」と「余白の美」に惹かれ、この表現をさらに追及するために、刺繍という手段を選択。織や染色では表しきれない線表現は、刺繍でこそ可能であり、1本取りや2本取りの刺繍糸で、日本画の面相筆に匹敵する繊細な線表現を手に入れました。

本展のテーマ「鯉龍」は、「黄河中流にある竜門の急流を登った鯉は竜となり天に昇る」という中国の故事に由来します。亡父が師事した中村玲方氏は、川合玉堂門下の日本画家で、描くのが難しいとされる鯉の絵を得意とし、亡父も鯉の絵を愛し多数のスケッチを遺しました。荘厳な那智の滝(和歌山県)を見る機会を得、鯉の瀧登りを主題にした6 メートルの大作を着想。本展では、刺繍作品のルーツとなった亡父のスケッチや、表現を模索する過程で制作してきた自身の墨絵も展示します。

日本人の心に脈々と流れる自然を愛する心と、亡父から受け継いだ日本画の伝統をベースに、単色の墨絵にも通じる白糸刺繍で表現し、「刺繍を美術に繋げたい。刺繍というジャンルをアートの域に高めたい」との強い希望から、今日まで第一線で制作を続けてきました。芸術としての白糸刺繍の美しさを皆様に感じていただき、その素晴らしさを後世に伝授する一助になれば幸いです。

 

作家経歴

 

相宮慧子

東京生まれ。東京家政学院短大科卒業。墨絵を日本南画院副理事長 飯田満佐子(東籬)氏に、ヨーロッパ刺繍を元文化女子大学教授 故誉田文子氏に学び、1982年から刺繍作家として活躍。作品は主に白糸刺繍とシャドーワークで、発表は国内とパリ、ボーリューの作品展のみ。

 

MUSEE企画展 ギュスターブ・ドレの『神曲』
ダンテ「神曲」、500年の時を超えた精緻な視覚化

 

開催趣旨

 

13世紀から14世紀にかけてイタリアで活躍した詩人・政治家ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)による長編叙事詩『神曲』は、聖書に次ぐ世界最大の古典と言われ、美術、文学、音楽とさまざまな創作者の最大の発想源となってきました。同時代のボッカチョをはじめ、ゲーテ、アレクサンドル・デュマ、美術ではシスティーナ礼拝堂天井画を描いたミケランジェロから、ウィリアム、ブレイク、現代のダリ、音楽ではチャイコフスキー、リストなど多数の芸術家が神曲からインスピレーションを得て、作品を制作しています。

聖書に天国や地獄の記述はありましたが、それを具体的に言葉で描写したのはダンテが初めてでした。ダンテが『地獄篇』を著した14世紀初頭以降、キリスト教美術において天国や地獄が盛んに図像化されるようになり、後世のあらゆる分野に多大な影響を及ぼします。ちなみに、現代でも2016年公開の映画『インフェルノ』(トムハンクス主演)でも重要なモチーフとして取り上げられています。

ダンテの『神曲』は、イタリアでの政争と自身のフィレンツェ追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在を背景に描かれたとされる叙述詩で、地獄篇、煉獄篇、天国篇の 3 部から構成されています。

物語は、ダンテ自身が、ユリウス暦 1300年の聖金曜日、暗い森の中に迷い込む場面から始まります。古代ローマの大詩人ウェルギリウスと出会い導かれ、地獄、煉獄、天国の遍歴をスタート。地獄の九圏を通り、地球の対蹠点にある煉獄山にたどり着きます。煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、その頂で、永遠の淑女ベアトリーチェと再会。ベアトリーチェは実際にダンテが幼い頃から敬慕し、愛するも拒絶。24歳の若さで夭折し、永遠の淑女として生涯賛美することを誓った、彼女の導きでダンテは天界へ昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、神の域に達するという壮大な物語になっています。

ダンテの時代から約500年後の19世紀、『神曲』世界の重要な場面を、140枚近くの木版画で表現したのがまだ年若いギュスターブ・ドレ(1832-1888)でした。彼の挿絵本『神曲』は、当時の常識を超えた版の大きさと挿絵の多さでたちまち大評判となります。500年の時を超え、二大天才のコラボともいえるドレの挿画本『神曲』は、多数の場面を克明に可視化した功績は、美術史上画期的であり、現代に通じるヴィジュアル時代の幕開けとなりました。

 

本展では、100年前に出版された挿画本から29点を展示。地獄篇と煉獄篇を視覚化した作品が比較的多いですが、ドレの描く光と慈愛に満ちた天国篇の挿絵を多めに取り上げてみました。抽象的で難解な『神曲』の世界を、精緻に浮かび上がる視覚で感じていただき、歴史を超えた知的な旅に誘えれば幸甚です。

 

 

展覧会の様子

 

2017/8/23(水)より、MUSEE企画展 ギュスターブ・ドレの『神曲』〜ダンテ「神曲」、500年の時を超えた精緻な視覚化〜がスタートしました。銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)で、昨年2016年夏に開催した「アールデコの時代」展に続く、モノトーン作品が埋め尽くされています。

今回展示するのは、約100年前に出版された図版から、主だったエピソードを抜粋、個々に額装したものです。時系列で地獄篇、煉獄篇、天国篇を、ギャラリーの1、2階を、主人公ダンテになった気分で回遊しながら鑑賞いただけます。壮大なドレが描き出す神曲の世界に浸ってください。皆様のご来場をお待ちしております。

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作品リスト

今回のMUSEE企画展では、展示作品を販売しております。どの図版も一点しかご用意がありませんので、先着順となります。

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展示作品(画像)一覧

 

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