明治煉瓦街、初代「時計塔」。銀座のシンボル、和光の時計塔は実は2代目。文明開化の音が鳴り響き始めた1872年(明治5年)2月、火事が発生し銀座一帯が焼け野原となった。後に「銀座大火」と呼ばれ、焼死8人、負傷者60人、焼失戸数は4874戸といい、これを機に明治新政府は銀座を耐火構造の西洋風の煉瓦街へ改造することとなった。帝都の象徴として再出発である。1894年(明治27年)輸入時計・宝飾品等を扱う服部時計店の創業者・服部金太郎が、その銀座四丁目交差点角地の朝野新聞社の建物を買い取り、初代の時計塔として増改築した。この煉瓦街から、現在の老舗と呼ばれる名店が銀座に店舗を構えた。あんぱん「木村屋總本店」、菓子「風月堂」、洋装品「ギンザのサヱグサ」、海軍病院薬局長を辞した福原有信による調剤薬局からスタートした「資生堂」。書画文具「鳩居堂」、天ぷら「銀座天國」、洋食「煉瓦亭」が誕生したのである。新橋駅による開港地横浜との直結し舶来品が集まりやすく、新聞社が集中し流行発信する土地柄、江戸以来の職人街に住む職人の細やかな技術、これらが融合し銀座の礎となった。【2】1894年(明治27年)頃
