水路。職人街だった銀座一丁目。雑誌『主婦之友』に附録として発行された72枚のうちの1枚。以下解説文より「がつしりとした鐵筋コンクリート、清洒(せうしゃ)な白タイル、七色のネオンライトに彩られたモダン東京も、その裏に廻ってみれば、この有様です。額にばかりゴテゴテ白粉を塗つて、襟筋の垢をそのままにしてゐる、下手なお化粧に似てはゐませんか。ここは銀座一丁目の町つづき、大根河岸附近から眺めた情景です。」現在の首都高速東銀座出口から警察博物館にかけての一帯。まだ堀があった大根河岸。手前に舟があり堀が見える。銀座ばかりでなく東京の街全体が、水辺の街、舟運の街だった時代。戦後に焼け野原となった銀座は、商人の努力で復興する一方、空襲による瓦礫の山が、昭和通りを中心に続いていた。瓦礫処理を急ぐようGHQからの命令で、三十間堀への残土投棄されることに。1948年(昭和23年)6月から埋立が始まり、1949年(昭和24年)7月には埋立が完了し、水路としての三十間堀川は完全に消滅した。【16】1932年(昭和7年)・東京の反面
