享楽から戦争の時代へ。日中戦争(支那事変)の長期化、物資統制による国民生活の窮乏や疲弊感を、様々な祭りや行事への参加で晴らそうと、1940年(昭和15年)「紀元二千六百年式典」が盛大に開催された。神武天皇の即位から2600年目を祝い、「神国日本」の国体観念を徹底させようという動きが時節により強められた。内閣主催の行事が繰り広げられて国民の祝賀ムードは最高潮に達し、奉祝曲も作曲された。しかし参加者への接待も簡素化され、終了後に貼られた大政翼賛会のポスター「祝ひ終つた。さあ働かう!」の標語の如く、再び引き締めに転じ、その後戦時下の国民生活は厳しさを増していくことになる。銀座では、贅沢は敵だ、パーマネントはやめましょうと呼びかけられ、1944年(昭和19年)街灯や都電のレールが取り外されて軍事物資に提供され、歌舞伎座も休場を命じられ、華やかなネオンも消えた。昭和通りは芋畑に変わった。1945年(昭和20年)1月、泰明小学校にも撃弾が落とされ、その後、度重なる空襲を受け全域が焼き尽くされた。【29】1940年(昭和15年)・東京 紀元2600年式典 銀座街
