【33】ソニービル。流行発信するショールーム。1957年(昭和32年)、数寄屋橋に東京通信工業株式会社(後のソニー)がネオン広告塔を設置。トランジスタラジオ発売2年後の当時、初めて豆球を使用したネオン広告看板が話題になった。1959年(昭和34年)ショールームオープン。約20坪足らずのフロアに製品を並べた。「この銀座・数寄屋橋の一角を永久に確保し、多くの面での効果を永続的に得たいと考え、ここにソニービルを建設することになったのであります」と宣言し、1966年(昭和43年)ソニービルがオープン。芦原義信設計、グッゲンハイム美術館を参考に世界初『花びら構造』のユニークな建築様式を採用。正確さと装飾を廃した機能美、ビル自体がソニー製品であるかのように表現された。外壁に埋め込まれた2300個のブラウン管テレビ、パネルヒーティング、日本最高速エレベーターなど、新しい構想で話題をさらい1日平均2万人を超える盛況だった。その後、松下電器=テクニクス銀座ショールーム、日立製作所=Lo-Dプラザ、東京芝浦電気=東芝銀座セブン、日本ビクター=ニッパーズギンザが続き、日産自動車も銀座ギャラリーを開設した。【33】1960年(昭和35年)・銀座ネオン夜景

ソニービル。流行発信するショールーム。1957年(昭和32年)、数寄屋橋に東京通信工業株式会社(後のソニー)がネオン広告塔を設置。トランジスタラジオ発売2年後の当時、初めて豆球を使用したネオン広告看板が話題になった。1959年(昭和34年)ショールームオープン。約20坪足らずのフロアに製品を並べた。「この銀座・数寄屋橋の一角を永久に確保し、多くの面での効果を永続的に得たいと考え、ここにソニービルを建設することになったのであります」と宣言し、1966年(昭和43年)ソニービルがオープン。芦原義信設計、グッゲンハイム美術館を参考に世界初『花びら構造』のユニークな建築様式を採用。正確さと装飾を廃した機能美、ビル自体がソニー製品であるかのように表現された。外壁に埋め込まれた2300個のブラウン管テレビ、パネルヒーティング、日本最高速エレベーターなど、新しい構想で話題をさらい1日平均2万人を超える盛況だった。その後、松下電器=テクニクス銀座ショールーム、日立製作所=Lo-Dプラザ、東京芝浦電気=東芝銀座セブン、日本ビクター=ニッパーズギンザが続き、日産自動車も銀座ギャラリーを開設した。【33】1960年(昭和35年)・銀座ネオン夜景