二・二六事件の舞台にもなったモダニズム建築の傑作。今はなき有楽町の日劇と朝日新聞本社。朝日新聞は、1888年(明治21年)大阪にあった朝日新聞社が自由燈、燈新聞の流れを汲む新聞を買収し、東京朝日新聞と名前を変え創刊したのがルーツである。当時の社屋は、現在の銀座6丁目(旧・京橋区瀧山町)にあった。1907年(明治40年)夏目漱石が小説記者として、1909年(明治42年)石川啄木が校正係として入社したという驚きの社歴を持つ。1927年(昭和2年)有楽町の新社屋に移転。モダニズム建築の代表作として建築史上知られる白木屋デパートを手掛けた石本喜久治が設計を担当。本社事務機能、印刷工場、読者が来訪できる展示場、大講堂などを備えた多機能ビルだった。5角形の敷地形状に対する配置、階層の動線処理など平面計画に特徴がある。外観は隅角部に丸みを持たせ、事務所窓を端正な矩形、大講堂窓を半楕円形とし、バルコニーを壁面から張り出しアクセントとした。真横を江戸城外掘が流れていた。竣工した年、二・二六事件の舞台となり反乱部隊の襲撃を受ける。1940年(昭和15年)「朝日新聞」に改題。1980年(昭和55年)築地に移転し、跡地が有楽町マリオンとしてなり今に至る。【23】1937年(昭和12年)頃・銀座より数寄屋橋を望む
