堺の銀細工職人が植えた柳。江戸時代、江戸前島という砂州を埋め立て町人地として整備が行われた。1612年(慶長17年)に駿府にあった銀座役所が移転し、1800年(寛政12年)蛎殻町に再び移転するまで、銀貨の鋳造が行われた。「銀座」の由来である。その象徴である「柳」は、室町以降、貨幣制度を生んだ商工都市、堺から移住した銀細工職人が、故郷を懐かしんで移植したのが起源とされる。1874年(明治7年)日本初の街路樹として、最初は桜・松・楓が銀座通りに植樹された。3年後、埋立地だったため根腐れを起こし、湿地に生育する柳に植え替えられた。1921年(大正10年)には車道の拡幅にともない銀杏へと植え替えられたものの、銀座の柳に対する思いは強く、1929年(昭和4年)に発表された西條八十作詞『東京行進曲』でも銀座の柳をなつかしむ歌詞が登場する。1932年(昭和7年)朝日新聞社の寄贈で銀座通りに柳が復活し、柳まつりが開催された。その後『東京ラプソディ』『東京音頭』で歌われるなど、柳は銀座のシンボルとして定着していった。戦後、銀座の柳は1968年(昭和43年)撤去され、歩道が拡張された【20】1935年(昭和10年)頃・(東京名勝)情緒をそそる銀座の柳
