新聞、報道の街。雑誌『主婦之友』に附録として発行された72枚のうちの1枚。以下解説文より「銀座通りといふのは、北は京橋の袂から、南は新橋驛附近までの総称で、そのその中心をなすのが、銀座四丁目、即ち尾張町の交叉點であります。右手の白い建物は、新装成つた服部時計店で、左手に見えるのが、東京朝日新聞社です。」。明治時代、煉瓦街の建設に伴い、東京日日新聞、東京朝日新聞、読売新聞や國民新聞など新聞社のほとんどが銀座に集中し、印刷業や広告代理店なども集中した時期があった。しかし関東大震災により壊滅的打撃を受けると、読売が大手町へ移転するなど銀座への集中も途絶えることとなった。また、日本電報通信社(電通)が銀座に設立され、広告原稿の受け渡しの利便性から地方新聞社の多くが銀座周辺に東京支局を構えた。そのため現在でも支局や支社を構えるところが存在する。【19】1932年(昭和7年)・銀座尾張町
