【17】復興の象徴、昭和通り。昭和通りは関東大震災の復興事業として計画、新しく建設された道路である。明治初期に銀座で実現した煉瓦街計画以来の、不燃化による近代的な都市作りを、下町全域で実現させようと東京府知事だった後藤新平が描いた構想を元に進められた。原案では道幅を108メートルとするものであったが、広い道路の重要性が当時は受け入れられず、結果現在の道幅45メートルに狭められ1928年(昭和3年)に完成した。欧米に匹敵する都市景観を作り出そうと、中央の分離帯には植栽が施され、江戸時代からの日本橋魚河岸の真ん中を突っ切った。魚河岸は、1935年(昭和10年)築地に移転が完了した。【17】1932年(昭和7年)・(大東京)街区整然たる昭和通の美観

復興の象徴、昭和通り。昭和通りは関東大震災の復興事業として計画、新しく建設された道路である。明治初期に銀座で実現した煉瓦街計画以来の、不燃化による近代的な都市作りを、下町全域で実現させようと東京府知事だった後藤新平が描いた構想を元に進められた。原案では道幅を108メートルとするものであったが、広い道路の重要性が当時は受け入れられず、結果現在の道幅45メートルに狭められ1928年(昭和3年)に完成した。欧米に匹敵する都市景観を作り出そうと、中央の分離帯には植栽が施され、江戸時代からの日本橋魚河岸の真ん中を突っ切った。魚河岸は、1935年(昭和10年)築地に移転が完了した。【17】1932年(昭和7年)・(大東京)街区整然たる昭和通の美観