○○銀座を生んだ、銀座のレンガ。関東大震災の難事へ対応したのは内務大臣の後藤新平。ナポレオン3世によるパリ改造計画を参考に、道路を放射状に延ばす壮大な復興計画を立てる。資金不足で断念するも「遷都をしない」ことにこわだり、東京を災害に強い街にするべく様々な工夫を凝らした。道路の建設、区画整理や新しい橋の建設、公園の新設や小学校の耐震及び耐火工事により避難所を確保など、現在もその多くが受け継がれている。銀座でも、煉瓦家屋のほとんどの取り壊し、昭和通りの整備、晴海通りや外堀通りの拡幅が行われたものの、街区の整備に手をつけられることはなく、1872年(明治5年)区画整理時の町並みが残された。なお戸越の商店街が、排水処理に困っていた為、銀座から撤去されたレンガを貰い受け利用した由来から戸越銀座と名乗るようになり、全国初の「○○銀座」となった。その後全国各地で「○○銀座」と名付けられた商店街が形成されるようになった。【8】1923年(大正23年)・東京大震災絵葉書(京橋)焦土と化した銀座通
