逆襲する景色 

ジャーナリスト・作家、辺見庸(1944-)「反逆する風景」(講談社文庫・1997)
に強く共感し、本展のテーマ「逆襲する景色」を決定した。

それは、北京、チェルノブイリ、ウガンダ…、世界のいたる所を旅し、
「風景」そのものをこそが真実を語るという現実を記した、気鋭とも評された
ノンフィクション作品である。

その中に、私自身の表現したいものの破片がちりばめられていることを発見し、
この詩文が浮かんだ。

 

 

ある日 景色がこちらに迫ってきた
 
息苦しい程の豪雨
蝉の鳴き声
 
巨大なスピーカーに
囲まれているようだった
 
私は 眼を大きく見開き
ピリピリする肌から
産毛が ゆっくり立ち上がるのを感じる
 
景色は何を言いたいか
 
人間の勝手を責めていると
思うのは間違いで
 
景色こそが絶対であること
 
私たちは理由というものをつけすぎて
 
秩序というものを並べすぎて
 
今 景色に 逆襲されようとしている
 
そのことを待ち望んでいたのか
私の筆が呼応する
 
北澤  千絵

 

 

辺見庸(1944-)「反逆する風景」(講談社文庫・1997)より引用

「絶対風景」にむかうこと ー前書きに代えて
(一部分) 
風景はかならず意味に反逆する。もっともらしい意味をとりつくろう言葉に謀反をおこす。
意味の整合をよそおう言葉にはげしくたてついてくる。
わたしやわたしたちはあまりにも意味に在られる現在から、なにもないnothingの地平へ、
もの恐ろしい言葉で言えば、滅亡という名の絶対風景へと歩をすすめている。
爆撃、大災害、核爆発……の先の無。無の無。
われわれは溶岩台地でも廃墟でもないリアルな無の地平線にむかってすすんでいる。
まるでまったき無にこそ解放か最終秩序があるとでも信じているかのように。

 

「反逆する風景」
(一部分)
最初にそのことをこの目に強く意識したのはいつだったろうか。
風景が反逆してくる。考えられるありとある意味という意味を無残に裏切る。
のべつではないけれども、風景はしばしば、被せられた意味に、お仕着せの服を嫌うみたいに、反逆する。
刹那、風景は想像力の射程と網の目を超える。あるいは眼前の風景が、世界の意味体系から、
額縁から外れるように、ずるりと抜けて、意味の剥落した珍妙な踊りを踊る。
常識を蹴飛ばして、私やあなたを 惑乱することがある。
全体、風景たちはなにに対し反逆しているのだろう。
解釈されることに、ではなかろうか。意味化されることに、ではないか。
風景は、なぜなら、往々解釈と意味を超える、腸のよじれるほどのおかしさを秘めているからだ。
反逆する風景たちは、ではなにを訴えたいのだろうか。
おそらくは、「この世界には意味のないことだってあるのだ」ということなのだ。
そして、無意味が許されないことに、無意味があまりにも掬われないことに、憤怒するのではないか。

 

作家紹介

北澤 千絵

武蔵野美術大学短期大学部卒業後、「お前の絵は絵ではない」と言われて10年以上描くことを休止した。その後ロッククライミング中に死を意識する場面に遭遇したこともあり、そのプロセスが絵画制作と結びつくと気づいて再び絵筆を執る。2011年より3回の個展を経て、絵画はアンチテーゼであると常に考え、潜在意識に刻み込まれるような影を追求している。