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開催趣旨

 松村メイ子(1935-)は、71年前の戦争で自身が体験した出来事をきっかけに50年間ひたすら、人との対話を重ねた「絵手紙」の制作に取り組んできた画家です。

 第二次世界大戦で、陸軍歩兵第34連隊に所属した父親が、先陣隊として行き先を告げぬまま徴兵され、中国の激戦地に赴きました。幼い松村メイ子は、長女として母と弟4人を支え、死者2000人超となった静岡大空襲を逃れ、山間の村に疎開し、力強く生き抜きました。10歳の頃、静岡市で終戦を迎えるも、父親が「生きているか死んでいるか分からない。」壮絶な環境で生活。1946年の末、疎開先の村人によるドラム缶風呂に入れてもらった「些細な親切が忘れられない」と回顧します。

 戦後5人の子供たちは、それぞれの人生を歩み、アジア、ブラジル、ニューヨーク、ペンシルベニアに渡り、国際的に活躍。命を奪われることなく生きたからこそ、その後の人生があった。どん底を経験したからこそ、どんな些細なことにでも喜びを見つけられる。画業に取り組むきっかけは、結婚後、そうした自身の「人生の可能性」に気づいたことに基づきます。徴兵された亡父が胸に入れて戦地で持ち歩いた一枚の写真。そこから描いた作品「戦争の記憶」が、創作の原点にあります。

 松村メイ子は、夫を若くして亡くし、女手一人で昭和という時代を生き抜きました。ブラジル道場で稽古を重ねる柔道などに取り組むバイタリティある活躍は、目を見張るものがあります。大病を乗り越え、81歳を迎えた彼女の人生は、波乱万丈そのものです。

 「些細な親切に恩返ししたい」感謝の想いから、50年間ほぼ毎日10枚誰かに、絵手紙を描き続けてきました。その数、5000枚を超えます。最近は、デイケア、デイサービスなどで、お年寄りをモデルに一人一人と丁寧に対話を重ねています。さりげない会話、その瞬間にこぼれたその人物の機知を捉え、筆を走らせます。

 戦争体験を知る者が少なくなった現代。対話を避ける希薄な人間関係が当たり前になった今、歴史の語り部として、対話を重んじる彼女の姿勢、その存在価値は計り知れません。

 2016年7月、銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)では、松村メイ子という人物と、彼女が描いてきた絵手紙を紹介します。終戦から71年を経過した今、彼女の生き様、軌跡を感じていただければ幸甚です。

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展覧会の様子

本日2016/7/27より、銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)では、「MEIKO 松村メイ子 画業50年記念展 戦後71年 出会いの軌跡」がスタートしました。

戦中戦後をひらすらに生き抜いた作家に焦点を当て、人との繋がり、出会いの大切さを伝える展覧会となります。圧巻とも言える絵手紙1,000枚、描かれた人物が目に飛び込んでくる会場構成となりました。
一足早く、東京新聞 朝刊(7/17)にて掲載いただいております。2016/7/31までの5日間、毎日16時よりギャラリートークも開催し、松村メイ子さんの体験されたこと、生涯を辿ってまいります。「出会いの軌跡」どうぞご高覧ください。

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東京新聞 2016.7. 朝刊 掲載

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