【展示3】伝説の前衛美術集団「ネオ・ダダ」 風倉 匠 初公開コレクション

The legendary avant-garde art group “Neo Dada”. During the 60s, their parade in Ginza wearing disguise shocked the nation. Known as the first performer of its kind in the post-war era, Kazakura Sho was a founding members of the Neo Dada movement and had an active career around the world. We have been huge fans over the years. To show our respect to the late master who passed away in 2007, we are debuting fifteen precious works which we received from the artist for the first time in Japan.

 

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銀座の街を衝撃的とも言える個性的な格好で練り歩いたパフォーマンス(=ハプニング)はあまりに有名。当時のマスコミの注目を集め、伝説の前衛美術集団「ネオ・ダダ」と言われる所以となっている。

 

 今や伝説とも言われている前衛美術集団「ネオ・ダダ」。1960年代、銀座を仮装して練り歩き、全国に衝撃を与えました。その創設メンバーで、戦後初めてパフォーマンスを行なったことで知られ、国際的に活躍した 風倉 匠(1936-2007)。

 銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)を運営する川崎ブランドデザインは、ファンクラブを立ち上げ、生前応援してきました。2007年永眠された氏への哀悼として、貴重な作品群13点を初公開いたします。

 今でこそ現代アートの展覧会は、数多く開催され市民権を得ていますが、半世紀前では理解しがたい未知のアートとして、美術館での展覧会はおろか画廊やギャラリーでの展示も憚られる存在でした。

 そんな現代アートの黎明期1960年、今や伝説として語り継がれている前衛美術集団「ネオ・ダダ」(ネオ・ダダイズム・オルガナイザー)が結成されました。読売アンデパンダン展に出展した荒川修作、吉村益信、篠原有司男、赤瀬川原平、そして風倉匠らが、建築家 磯崎新 が設計したアトリエ“ホワイトハウス”を拠点に創作活動を行い、銀座で3度の展覧会を行ないました。

黒いバルーンに入り、ピアノ演奏に合わせ有機的に動くパフォーマンス。「ピアノ狂詩曲」という破壊したピアノを額縁に閉じ込めた連作も存在する。

黒いバルーンに入り、ピアノ演奏に合わせ有機的に動くパフォーマンス。「ピアノ狂詩曲」という破壊したピアノを額縁に閉じ込めた連作も存在する。

 その間、世間の注目を集める目的で銀座での仮装パフォーマンス(=ハプニング)を敢行。社会風俗現象「銀座のダダっこ」として揶揄されながらもマスコミを大いに賑わせ、美術評論家に着眼されるアナーキーな作品や構想を数多く残し、スキャンダリズムを旨とする日本の前衛美術の傾向を示す典型となりました。

  磯崎新によって命名された大分の美術グループ「新世紀群」の吉村益信を中心に、風倉匠、赤瀬川原平らが参加することで生まれた大分~東京ルートがネオダダ結成の源流であります。

1996年、磯崎 新(左)をゲストに迎えた佐伯建設記念式典にて。 風倉 匠(中央)、そして前代表 川崎 裕一(右)。

磯崎 新(左)をゲストに迎えた弊社80周年記念式典にて。風倉 匠(中央)取締役 川崎弘美、前代表 川崎 裕一(右)。

 

 

 

 

 

 ネオダダ・風倉匠 は、戦後最も早くパフォーマンスを行なった前衛アーティストとして知られ、1986年パリのポンピドゥセンター「前衛芸術の日本1910-1970」に招待、1995年バングラディシュ「アジア美術ビエンナーレ」など世界を魅了し、高い評価を得ました。グランドピアノを叩き割るパフォーマンスとその破片を鉛に閉じ込めた「ピアノ狂詩曲」は、特に印象深く、人気を博しました。

 

磯崎 新 の処女作「大分県立図書館」は、90年代初期、老朽化のため取り壊しの窮地に陥りました。前代表 川崎 裕一 が声を上げた保存運動が成功し、大分市美術館アートプラザとしてリニューアル。 ネオダダの作品も多数恒久展示されております。磯崎 新 の処女作「大分県立図書館」は、90年代初期、老朽化のため取り壊しの窮地に陥りました。前代表 川崎 裕一 が声を上げた保存運動が成功し、大分市美術館アートプラザとしてリニューアル。 ネオダダの作品も多数恒久展示されております。

磯崎新 の処女作「旧大分県立図書館」は、平成初期、老朽化のため取り壊し計画が浮上。前代表 川崎裕一が声を上げた保存運動が実り、大分市美術館アートプラザとしてリニューアルされ現在に至る。「ネオ・ダダ」作品も多数展示されている。

 

 

 

 川崎ブランドデザインは、大分を拠点とした前代表時代、吉村益信の家業(現 株式会社アステム)と建設の仕事をはじめ経済界での繋がりがありました。

平成初期、ネオダダと深い関わりのある磯崎新の処女作「旧大分県立図書館」が解体される計画が持ち上がった際、保存運動を指揮。一村一品運動で知られている当時の大分県知事、平松守彦氏に直接進言し、保存を後押ししました。その成果が実を結び1998年「大分市美術館アートプラザ」としてリニューアル保存再生されました。こけら落としとなった記念展示「ネオダダJAPAN1958-1998-磯崎新とホワイトハウスの面々-展」が大々的に開催され、ネオダダのアーティストとの交流を深めて参りました。また同時期に、弊社が創業80周年を迎え、磯崎新を招き記念講演会を開催しました。

 

風倉匠アトリエ

 川崎ブランドデザイン取締役 川崎弘美は、1980年代に風倉匠が開いた美術教室に通った縁で、ファンクラブを結成し、九州各地での個展やイベントなど活動を支援しました。現代表も、幼少期、美術教室に通い先生と慕い、多大な影響を受けています。

 2002年、施工に関わった大分市美術館(内井昭蔵設計)にて開催された、最期の大規模な展覧会さわれる原風景を探す 風倉匠 展」では、病明けに関わらず全作品新作で挑み、周囲を驚かせました。

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 銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)の開廊は、「ネオ・ダダ」の銀座でのパフォーマンス活動、そして生前交流を持ち、お世話になった 風倉匠 の存在、インスピレーションなしでは実現出来なかった構想と捉えています。

 2007年に永眠された氏の功績を讃え、哀悼として、ご本人から生前にプライベートで頂戴した未公開の貴重な作品群を展示します。そして、「ネオ・ダダ」に続くアーティスト達と共に、銀座から新しい価値観を発信することを念頭に企画、運営して参ります。