コロマン・モーザー グラフィック展
「モダニズムの曙」知られざる世紀末ウィーンの天才デザイナー 

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開催趣旨

 

 銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)2016年 2月〜3月は、日本で唯一のウィーン世紀末に特化した「パルナスウィーンインテリア(主宰 川崎弘美)監修のもと、企画展として「コロマン・モーザー グラフィック展」を開催します。    

 美術史で「世紀末ウィーン」と括られる1900年前後のウィーンは、あらゆる分野で芸術、文化、学問が一斉に開花した勢いのある一時期でした。家具、工芸などの応用美術が、純粋芸術といわれる建築、彫刻、絵画と同格に認められ、インテリアを含めた空間デザインの系譜において、重要なターニングポイントとされています。 この激動の時代に活躍した画家として、日本ではグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、建築家ではオットー・ヴァグナー、ヨーゼフ・ホフマンなどが挙げられます。しかしながら、ここに知られざる天才デザイナーが存在します。それが、今回ご紹介するコロマン・モーザー(Koloman Moser/1868-1918)です。

 モーザーは、当時の旧体制に反旗を翻した新しい芸術団体「ウィーン分離派」と、質の高いインテリアを提供した有限会社「ウィーン工房」において活動し、グラフィック、家具、工芸、空間デザインなど多分野で作品を残した総合芸術家です。

 画家としてキャリアをスタートしたモーザーは、20歳の時、父の死をきっかけにグラフィックの仕事に携わり、数多くの商業デザインを手がけるようになりました。初期は具象的で曲線を多用した表現でしたが、次第に抽象的、直線的、幾何学的表現に変化を遂げます。

 モーザーはそのグラフィックの才能を、銀器などの工芸デザインや、照明、ステンドグラス、家具の象嵌、テキスタイルなど空間デザインに発展させていきます。建築家が設計と内装デザインを行なうことが一般的であった当時、独創的な強い線、明瞭な色彩が評価され、一定の成果を残しました。その功績は計り知れません。

 モーザーは、欧州では広く評価され、企画展が開催されていますが、モーザーに特化した展覧会は日本では初めてとなります。今回は、欧州で、現代でもリプロダクトされ続けているポスター作品を12点を公開します。2004年、ニューヨークのノイエ・ギャラリーで企画された展覧会フライヤー(モーザーの肖像)も併せてご紹介します。後のバウハウス、アールデコにも繋がると言われる「モダニズムの曙」、世紀末ウィーンで活躍したコロマン・モーザーの世界をお楽しみ下さい。

 

展覧会の様子

 
コロマン・モーザー グラフィック展「モダニズムの曙」知られざる世紀末ウィーンの天才デザイナー がスタートしました。コロマン・モーザー(Koloman Moser/1868-1918)は、欧州では広く評価され、企画展が開催されていますが、日本では初めてとなります。「ウィーン分離派」と「ウィーン工房」において活動し、家具、工芸、空間デザインなど多分野で作品を残した総合芸術家の残したグラフィックに焦点を当て、欧州で現代でもリプロダクトされ続けているポスター作品を12点を公開。2004年、ニューヨークのノイエ・ギャラリーで企画された展覧会フライヤー(モーザーの肖像)も併せてご紹介します。後のバウハウス、アールデコにも繋がると言われる「モダニズムの曙」、世紀末ウィーンで活躍したコロマン・モーザーの世界をお楽しみ下さい。会期延長し、2016/3/13(日)までの開催です。お気軽にお運びくださいませ。
 

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 メディア掲載【銀座経済新聞(2016.2.9発信)】

 

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OITA to TOKYO =ネオダダから始まるアート・ムーブメント=

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開催趣旨

 

 1960年代、銀座を過激なパフォーマンスで練り歩き、美術界を震撼させた伝説の前衛美術集団「ネオ・ダダ」。その創設メンバーで、大分出身の前衛パフォーマー「風倉匠」との交流、作家支援の経験が原動力となり、銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)をスタートさせ2年が経ちました。

 今年2015年4月、建築家 坂茂氏の設計による大分県立美術館(OPAM:Oita Prefectural Art Museum)、−「五感」・「出会い」のミュージアム−が完成しました。国東半島芸術祭が開催されたこともあり、大分がアートで沸き立っています。

 大分をルーツに持つMUSEEでは、それらの流れと連動し、83年生き延びてきたレトロビル空間から、「大分から東京へ=ネオダダから始まるアート・ムーブメント=」と題して、企画展を開催致します。

 風匠倉(1936-2007)は、大分市に生まれ、大分では磯崎新、吉村益信らと「新世紀群」に参加、24歳の時、東京で「ネオ・ダダ」の創立メンバーとなりました。パフォーマンス、抽象的絵画に加え、自ら解体したピアノの部分を鉛に埋め込んだ作品、虫眼鏡で見るミリ単位のマッチ箱の裏に描いた作品、箱の中に物質を入れたオブジェなど、色では真っ当な青を好み、素材では鉛にこだわり、力強く、斬新で爽やかな作品群を残しました。

 生前、大分で、風匠倉のアート活動を応援するファンクラブを立ち上げた縁で、MUSEEでは、絵画、箱の立体作品など複数を恒久コレクションとして所有しております。今回は風匠倉と交流のあった大分出身の作家作品も併せて公開します。

 大分から東京へ。ネオ・ダダ創設のルーツもこの上京の道のりにあったと言われています。今注目が集まる大分で生まれた現代アートを、銀座に残る歴史的空間、銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)でお楽しみください。

 

雑誌掲載

 

大分 美術 佐伯建設 ネオ・ダダ 朝倉文夫2015年4月16日発売の「美術屋・百兵衛」2015春号に、銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)が掲載されました。「大分の美術探訪」という特集号です。

 

MUSEEを運営する川崎ブランドデザインは、1917年(大正6年)大分にて創業しました。ルーツである重要文化財「赤レンガ館」、建築家内井昭蔵(1933-20012)と企画から関わった「大分市美術館」、そして伝説の前衛アート集団「ネオ・ダダ」創設メンバーの風倉匠(1936-2007)との交遊から、MUSEEへのつながりを記載いただきました。

 

坂茂設計の新県立美術館オープンで沸き立つ大分のアートが凝縮された一冊です。全国の書店で購入できます。是非チェックされてみてください。

 

 

銀座レトロギャラリーMUSEE/大分特集号2

 銀座レトロギャラリーMUSEE/大分特集号1

以下、美術屋百兵衛ホームページ(http://www.hyakube.com)より抜粋

大分県のアートを中心とした様々な文化にスポットを当てています。江戸に多くの藩や領に分かれた大分県は、地域ごとの特色ある文化を育んできました。その伝統は今も残り、文化面では百花繚乱の様相を呈しています。今年4月24日には新しく県立美術館がオープンし、大分のアートシーンはさらに活気づきそうです。今号の「美術屋・百兵衛」では、その作品が大分県立美術館のコレクションともなっている彫塑家の朝倉文夫、日本画家の福田平八郎や髙山辰雄、洋画家の宇治山哲平なども紹介しています。実は大分は赤瀬川源平や吉村益信ら1960年代に日本の現代美術界をリードした《ネオ・ダダ》のメンバーとゆかりのある県でもあります。2015年夏に別府市で開催されるアートイベント「混浴温泉世界」などを含めて、誌面前半の「大分文化考」で大分県のアートを特集するほか、後半の「百兵衛の眼」には全国の旬のアート情報が満載です。