【24】最先端の広告、アドバルーン。日本初のアドバルーン広告は、1913年(大正2年)、化粧品会社の中山太陽堂が使用した気球自体に絵や文字を書いた「広告気球」が始まりとされているが、1929年(昭和4年)二代目市川左団次の自由劇場が始まりであると言う説もある。1937年(昭和12年)頃から、朝の銀座上空に20以上のアドバルーンが浮かんでみられるように。しかし太平洋戦争が始まると掲揚は禁止される。戦後初となるアドバルーンは、昭和23年(1948年)に有楽町の日劇屋上から揚げられるも、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で「風船爆弾のイメージが残存する」という理由で、たった1日で中断。その後、昭和26年(1951年)規制が緩和され復活し、セール宣伝はもとより消防出初式や博物館の開館などのイベント告知や慶事の定番となる。東京で揚げられたアドバルーンの数は、1956年(昭和31年)には約10000本、1964年(昭和39年)松屋の新装開店時には一度に553本ものアドバルーンが揚げられたという。1937年(昭和12年)頃【24】   

【24】最先端の広告、アドバルーン。日本初のアドバルーン広告は、1913年(大正2年)、化粧品会社の中山太陽堂が使用した気球自体に絵や文字を書いた「広告気球」が始まりとされているが、1929年(昭和4年)二代目市川左団次の自由劇場が始まりであると言う説もある。1937年(昭和12年)頃から、朝の銀座上空に20以上のアドバルーンが浮かんでみられるように。しかし太平洋戦争が始まると掲揚は禁止される。戦後初となるアドバルーンは、昭和23年(1948年)に有楽町の日劇屋上から揚げられるも、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で「風船爆弾のイメージが残存する」という理由で、たった1日で中断。その後、昭和26年(1951年)規制が緩和され復活し、セール宣伝はもとより消防出初式や博物館の開館などのイベント告知や慶事の定番となる。東京で揚げられたアドバルーンの数は、1956年(昭和31年)には約10000本、1964年(昭和39年)松屋の新装開店時には一度に553本ものアドバルーンが揚げられたという。1937年(昭和12年)頃【24】